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【親ガチャ】3人の子どもがいるのに不倫した有島武郎の「身勝手すぎる手紙」の内容

炎上とスキャンダルの歴史2

 

■まるで他人ごと…子どもたちに残した遺書に唖然

 

 有島の三男で、母親の実家の男爵家を継いだ神尾行三は『父 有島武郎と私』(右文書院)という回想録を残しています。同書の刊行は平成9年(1997年)ですが、当時、84歳になっていた神尾の言葉にはいまだに父の心中事件を認めることはできない……もっというと、事件自体をどこか信じられていないような印象があり、親の身勝手な恋愛事件に巻き込まれてしまった家族の心の傷の深さに同情を禁じ得なくなるのです。

 

 実際、有島たちの腐乱した遺体が発見された大正12年7月7日以降、彼らの情死事件が新聞を賑わすようになると、成城小学校に電車で通っていた神尾の下校に先生がた二人が付き従い、有島の情死を報じる新聞を車内で開いていた人たちに、「ここにおられる方が有島さんのお子たちなので、ご遠慮いただきたい」と訴え、隠してもらったそうです。

 

 しかし、周囲の人々の心配をよそに、有島武郎本人は、三人の息子に向けた遺書の中で、次のように述べています。

 

「3児よ! 父は出来るだけの力で戦ってきた、こうした行為(=愛人との心中自殺)が異常な行為であることは心得ています。今、皆さん(=子供たち)の怒りと悲しみとを感じないではありませんけれど、しかたがありません、どう闘っても私はこの運命から脱(のが)れることが出来なかったから」。

 

 わが子を「皆さん」呼ばわりにして、まるですべては運命だった……、と他人ごとのような説明を読んで、「はぁ、そうですか」と納得はできません。『父 有島武郎と私』には有島の知人の翻訳者・赤井米吉による、有島が「ほんとに良い父さん」で、「愛の人、有島さんはほんとによい父さんであった」と重ねて結論するエッセイも掲載されているのですが、あまりにくどい弁護ぶりには、有島の非道をなじる声が世間中で響き渡っていたことの証でしょう。

 

 ただ、当時のマスコミには、下品さと同時に、現代では考えられないような紳士的な部分もあり、情死者の家族を追い回すようなことがなかったことは不幸中の幸いでした。三兄弟は、彼らにとっては叔父にあたる有島生馬に育てられ、立派に成長することができました。

 

 とくに大成したのは長男・行光で、俳優として映画界に入り、森雅之の芸名で昭和の二枚目スターとして活躍しています。しかし、神尾行三の回想録のどこにも、愛人女性と心中しようとしている父に感じた異変については言及されていないのは、なにか奇妙な感覚がありますね。

 

 

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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